アウステルリッツ後のアンドレイの人生観

岩波文庫第二巻p480あたり

アンドレ

「人生の真の不幸はただ悔恨と病気だけだ。幸福とはこうした不幸がない、ということでしかない。」
名誉のため、他人にほめられたい、他人に何かしてあげたいという気持ち、他人への愛のために生きて危うく人生を台無しにしてしまうところだった。(家族は他人ではなく自分に入る。)
隣人は迷いと悪の大本だ。


・学校を建設することに対して
>動物的な状態から引き出して、精神的欲求を与えてやりたがっている。
だが、僕が思うに幸福はただひとつしかありえない。それは動物的な幸福なんだ。
だのに君はあいつからまさにその幸福を奪おうとしている。
〜中略〜
肉体労働はあいつにとっては君や僕の頭脳労働と同じように無くてはならないもの、生きていく条件なんだ。
君は考えずに居られない。それと同じようにあいつは耕さずにいられない、草刈せずにはいられない。
そうしないとあいつは酒場にでかけたり、病気になったりする。
僕があいつの恐ろしい肉体労働に耐えられないのと同じく、あいつは僕のような肉体的な無為に耐えられずにぶくぶく太って死んでしまう。

・病院建設
>あいつが脳卒中で死にかける、すると君はあいつに瀉血をしてやって治してしまう。
あいつは障害を抱えて十年生きる、みんなの重荷になって。
死ぬ方がよっぽど穏やかで、簡単だ。他のヤツラが生まれる、それでなくても沢山いるんだ。
君は余分な働き手が独りいなくなるのが惜しい、というのならばだが。僕の見方からすればあいつは余分な働き手さ。
ところが君はあいつに対する愛情から治してやりたいというんだ。だが、あいつにはそんなこと必要ない。
医学が誰かをこれまでに治したことがあるなんて呆れた妄想だ。


自分の人生できるだけ楽しくするように努力しなきゃいけないな。
僕は生きているし、そのことに罪はない。とすれば、なんとかしてできるだけよく、誰の邪魔もせずに死ぬまで生き延びなきゃ。


君はそうやって農民を開放しようとしている。それはとてもいいことだ。
しかしきみのためになるわけじゃないし、それにもまして農民のためにならん。
かりにあいつらをぶんなぐってシベリアに送ったとして、そんなことであいつらの状態が対して悪くなるでもないし、シベリアで百姓は同じ家畜のような生活をするし、体の傷はなおってしまってまた元と同じように幸せなのさ。
開放が必要なのは、自分が正しい刑罰をくだすことも、正しくない刑罰をくだすこともありうるために、精神的に破壊したり、後悔したり、その後悔を抑えつけて荒れて行くようなものにとってなんだ。